水底の声

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とある山奥のダムには、かつてその地に村があったという噂がある。村はダム建設のために沈められ、住人たちは移住を余儀なくされたが、ある家族だけが最後まで村を離れようとせず、水没とともに命を落としたという。

そのダムは現在観光名所となっており、展望台やボートのレンタルもある。しかし、地元の人々の間では、夜になるとダムの水面から「助けて…」「ここから出して…」という声が聞こえると囁かれている。特に、満月の夜にその声は一際大きく響くらしい。

ある夏の夜、都会から来た若いカップルがそのダムを訪れた。彼らは心霊スポットとして噂を聞きつけ、「怖いもの見たさ」でやってきたのだ。観光客向けのエリアは既に閉鎖されていたが、彼らは柵を乗り越え、展望台に向かった。

ダムの水面は月明かりに照らされ、不気味なほど静かだった。しばらく二人で笑いながら写真を撮っていると、突然女性が「今、声が聞こえた!」と言い出した。

「何も聞こえないよ」と男性が答えると、彼女は怯えたように周囲を見渡した。だが次の瞬間、彼にもその声が聞こえた。
「助けて…」「苦しい…」
それは水底から響くような低く湿った声だった。

二人は恐怖に駆られ、その場から逃げ出そうとしたが、女性が誤って足を滑らせ、ダムの縁にぶら下がる形になった。男性が慌てて手を伸ばすと、水面から無数の白い手が伸びて女性の足を掴んだ。

「やめろ!やめてくれ!」男性が必死に叫んでも、水面の手は女性を引きずり込もうとする。女性の叫び声とともに、水面が激しく波立った。しかし、彼女が消えた瞬間には、何事もなかったように静寂が戻った。

翌朝、ダムの管理事務所は女性の遺体を発見した。顔は恐怖に歪み、爪には泥が詰まっていたが、男性の姿はどこにもなかった。地元の人々は「ダムに引きずり込まれたんだ」と口を揃えた。

今でもそのダムでは、満月の夜になると「助けて…」という声とともに、水面から白い手が伸びてくるという。

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