友人のAから聞いた話だ。
Aは現在結婚して、2人の子供に恵まれている。
これは、Aが下の子を妊娠していたときの話だ。
ある日、旦那と義父から、
「お爺さんとお婆さんが元気なうちに、曽孫の顔を見せたい」
と持ちかけられた。
旦那の祖父母は、遠い山陰の山奥で暮らしている。
2人とも90歳を超えた高齢ということもあり、Aが顔を合わせたのは結婚式の時だけ。
上の子が産まれた時も、電話をしたり写真を送ったりしただけで、直接は会っていなかったという。
しかし、旦那からしてみれば、自分を可愛がってくれた祖父母。
やはり一度くらいは曽孫の顔を直接見せてあげたいと思っていたそうだ。
その気持ちはAにも理解できたため、安定期に入ってから連休を使って連れて行ってもらった。
ただその時も、曽孫の顔を見せたいなら下の子が産まれてからの方がいいんじゃないかな?とは思っていたらしい。
まあ、出産予定日が冬だったから、雪が降ると山陰は交通の便が大変だし、翌年の夏を待っていたらお爺さんたちも元気かわからないし……と、勝手に納得していたそうだ。
そんなこんなで、旦那と義父も一緒に、お爺さんの家に着いた。
2人とも、「懐かしいなー、懐かしいなー」と、やたらとテンションが上がっていて、「Aを連れて来れて本当に嬉しいなー、来てくれてありがとう」と何度もお礼を言われた。
Aも嫌な気はしなかったから、「私も来れてよかったです」とニコニコしていたらしい。
旦那の祖父母もすごく歓迎してくれたそうだ。
特に、お腹の赤ちゃんのことはこっちが恐縮してしまうくらい喜んでくれたという。
Aの子どもは、上は女の子。
下の子の性別は、その時にはもう診断されていて、ほぼほぼ男の子だろうと言われてた。
田舎の古い考え方と言ったらそれまでだが、祖父は「後継ぎだ、大事な跡継ぎだ」と言って、ものすごくはしゃいでいたそうだ。
「Aさん、身体を大事にして元気な赤ちゃんを産みなさい」と何度も言ってくれた。
ところで、祖父母の家はかなり広い日本家屋だった。
小さい子なら4、5人集まっても隠れんぼが出来そうなくらいの広さだ。
田舎では普通の大きさらしいが、Aには十分珍しかった。
「立派なお家ですね」と感心していたら、祖父が喜んで、旦那に「ちょっとAさんに家を案内してあげなさい」って言ってくれたらしい。
それで、Aは旦那に連れられて、ぐるっと家の中を見て回ることになった。
「ここは縁側、ここは仏間」なんて色々と説明してもらっていたが、Aたちが泊まる予定の客間に入ろうとしたとき、不思議なものを見た。
障子の向こうに、黒い子どもみたいな人影がサッと過ぎったような気がしたそうだ。
あれっ?と思ったが、そのとき家にいる小さい子なんてAの長女しかいない。長女はAが手を繋いでいたから、障子の向こうにいるわけがない。
それに部屋の中に入ったら、当然誰もいない。
Aは何か見間違えたか、気のせいだろうと思って、特に誰にも話さなかったそうだ。
そのあとは、居間に戻って旦那や義父の小さい頃の話を聞いたり、その地元について教えてもらったりしてゆっくり過ごした。
夕方ごろだった。
長旅の疲れもあってか、Aはお腹がかなり張ってきたのを感じた。
そこで、落ち着くまでひとりで客間で少し横にならせてもらうことにした。
畳に布団を敷いてウトウトしていると、突然、身体が動かなくなった。
まるで大きな手に押さえつけられているような感覚に襲われ、指先一本動かない。
金縛りだ!とAは思ったらしい。
金縛りに合うなんて初めてだったから、Aはビックリして、とても焦った。
なんせ、お腹の赤ちゃんのこともある。
なんとか金縛りを解こうと頑張ったのだが、動かせるのは目だけ。
必死にキョロキョロと目を動かしているうちに、Aはふと気がついたらしい。
部屋の隅に……なにかいる。
小さな黒い影が、部屋の隅に蹲っている。
子ども?と、直感したらしい。
なぜそう思ったのかはわからない。
影は真っ黒で、形もあやふやだった。
しかし、なぜかAは、その影がおかっぱ頭で着物姿の子どもに見えたのだという。
影は、部屋の隅でじっと蹲っていてピクリとも動かない。
だが、じいっとAのことを見つめているのがわかった。
その影に見つめられていると、Aは全身にザワザワと悪寒が走り、吐き気が込み上げてきた。
やばい。何が何なのか全く分からないけれど、間違いない。これは、やばいやつだ。
脂汗を滲ませ、影とAがこう着状態に陥ったまま、どのくらい時間が経っただろうか。
ふいに、Aは身体の力がふっと抜けるのを感じた。
同時に、「A、夕飯できたけど食べられる?」と、旦那が障子を開けて客間に入ってきた。
Aはほっとしたあまり涙を浮かべながら、旦那に今起きた恐ろしい出来事を話した。
Aは、当然旦那は自分を心配するか、同じように怖がるかと思っていたらしい。
しかし、実際の反応は違った。
旦那はパッと顔を明るくすると、
「おまご様だ!!」
と歓喜の声を上げたという。
「……お孫様??」
Aが訝しむと、旦那は「違う違う」と笑った。
「孫じゃなくて“おまご様”だよ。俺の家系の……なんていうか守り神みたいなものだよ。ヤバい。本当においでになられたんだ。すぐ爺ちゃんに報告しなきゃ!!」
旦那は明らかに興奮した様子で、Aの手を引いてみんながいる居間へと連れて行った。
Aは頭上に「???」とはてなマークが飛びまくっていたが、旦那は構わず「おまご様」のことをみんなに話した。
すると、全員それはそれは嬉しそうな満面の笑みで「おまご様がおいでになったのか!!!」と大喜びしたという。
特に祖父は狂喜と言っていいほど大興奮で、
「おまご様がやっとおいでになった!そうかそうか!よかった!よかった!今日は酒を出してくれ!儂も飲む!」
とおおはしゃぎだった。
しかし、Aからすると得体のしれない「おまご様」に自分以外の全員が歓喜している状況が意味不明で、言いようのない不気味さを感じた。
取り残されているAに気付いたのか、義父が説明してくれた。
「おまご様っていうのは、この家に伝わる守り神みたいなものなんだよ。座敷わらしをイメージしてくれたら良いんだけど……。小さい女の子の子供の姿をしていて、赤ちゃんが産まれるときに祝福をくれるんだよ。おまご様がおいでになると、この家に繁栄が訪れると言われているんだよ」
Aは、先程見た影の姿を思い出した。
たしかに子供の姿をしていた……。
しかし、座敷わらし??Aは釈然としなかった。
どう考えても、座敷わらしみたいなおめでたい雰囲気ではなかったのだが……。
祖父が満面の笑みを浮かべながらAに言った。
「おまご様がおいでになるのは、実は久しぶりなんだ。◯◯(Aの旦那)が産まれるときには、うまく行かんかったからな。」
「??うまくいかなかった??」
「なあAさん、立派な後継を産むために、あんたに頼みたいことがある。今晩、おまご様がまたあんたのところにおいでになるはずだ。そうしたら、おまご様をあんたの腹に受け入れてほしい」
「えっ???」
予想もしなかったことを言われて、Aは理解が追いつかなかった。
しかし、祖父や旦那や義父はみんなニコニコと嬉しそうな笑顔でAを見ている。
「おまご様は、この家の後継を孕んだ女性の腹に入り込み、祝福をくださる。あんたと、後継のためだから、よろしく頼むよ」
あの影がお腹に入ってくる??赤ちゃんがいるお腹に???
この人たち、本気で言ってるの?
Aは、そんなのはあり得ないし絶対に嫌だと思った。
しかし、それを口にすることができない雰囲気だったという。
Aは冷や汗をかきながら、ゴニョゴニョとその場を誤魔化して取り繕った。
夜になり、A一家は客間に布団を敷いて寝ることになった。
Aは気が重かった。
それとなく旦那に、
「あなたはおまご様を見たことがあるの?」
と尋ねると、
「いや、俺は見たことない。でも、父さんや爺ちゃんが話してるのは何回も聞いたことがある。今回Aが本当におまご様を見たから興奮してる」
と返ってきた。
「さっきお爺さんが言ってた、あなたのときはうまくいかなかったってなんのこと?」
と尋ねると、旦那もうーんと顔を顰めながら、
「俺もそのことはよく知らないんだけど、俺の母さんが俺を妊娠してるときにおまご様がうまくおいでにならなかったんだってさ。爺ちゃんは、父さんと母さんが離婚したのは、おまご様がおいでにならなかったせいだって言ってるけど」
Aはゾッとした。
旦那の両親は確かに離婚しており、母親はAが幼稚園に入る前に家を出て行ったそうだ。
母親はAを引き取りたがったそうだが、経済的な問題で父親が親権を得たと聞いている。
「母さんにおまご様のことを聞いたこともあるけど、全然教えてくれないんだよ」
旦那の話を聞いて、Aはさらに嫌な予感がした。
そして、どうか今夜おまご様が来ませんようにと願った。
しかし、願いもむなしく、夜中Aは激しい悪寒で目を覚ました。
ハッ!と目を開いた瞬間、夕方の時と同じ金縛りに襲われたそうだ。
Aが「うわっ!」と思った瞬間、生臭い匂いがゾワゾワゾワッと足元から漂ってきたのを感じた。
目だけを足元に向けると……はっきりと見えたそうだ。
夕方に見たのと同じ、子供の姿をした真っ黒な影が、ユラ……ユラ……と揺れながらAを見下ろしていたという。
Aは悲鳴をあげそうになったが、金縛りのせいで声を出すこともできない。
心の中で必死に、「来るな!来るな!来るな!」と念じるしかできない。
部屋の中は真っ暗なのに、その黒い影はくっきりと闇の中に浮かんで見えたそうだ。
そして、少しずつ、少しずつ、Aの方に近づいてくる。
魚が腐ったような生臭い匂いが部屋中にどんどん強くなり、Aは今にも吐きそうになった。
同時に、影が近づけば近づくほど頭の中に勝手に(死にたい……死にたい……)という気持ちが流れ込んできて、自分の意思とは関係なくボロボロと涙が溢れてきたという。
やばいどうしよう、助けて!!とAがパニックになっていたその時、枯れたような低い声が、
「お……、お……、おお……」
と呻くのが聞こえた。
同時にその子供の影が、両手を自分の方に伸ばしてくるのを感じたそうだ。
Aは、そいつがお腹に触ろうとしていると直感した。
こいつが赤ちゃんのいるお腹の中に入ってくる??
そう考えた瞬間、Aは激しい怒りが沸き上がり、全力で影のことを睨みつけた。
(触ったら許さない!触ったら許さない!来るな!来るな!私の赤ちゃんに触るな!!!!)
「あああああああ!!!」
声にならない声でうめきながら、Aは全身に力を込めて身体を捩った。
すると、
バチン!!!
という音が耳の奥で聞こえたかと思うと、ぶわっと身体が浮くような感覚があり、ハッとした瞬間、金縛りが解けていたそうだ。
生臭い匂いも影も無くなり、部屋の中はしんと静かで、長女も旦那も何事もないかのように寝入っている。
呆然としたAは、そのまま震えながら朝を待ったそうだ。
朝になり、みんなが起きてくると、皆ソワソワと期待した様子でAに「どうだった?」と尋ねてきた。
Aは、本当のことを話す気にはなれず、申し訳なさそうな素振りで「すみません、何もなかったようなんですが……」と答えた。
すると全員、あからさまにがっかりしたりショックを受けたりした様子で、
「本当に?本当に何もなかったの?」としつこく尋ねてきた。
しかし、Aは頑として答えず、「なにもありませんでした」とだけ答えたと言う。
祖父は特に気落ちして、
「またうまくいかんかったか。なんでおまご様はおいでにならんかったんか。Aさん、ほんまに何もなかったんか。もう一晩泊まっていきなさい」
と何度も言ってきたが、Aはとんでもないと思い、なんとか断ったそうだ。
しかし、一番怖かったのは帰る時のことだと言う。
それまでそんな様子を見せなかった祖母が、ふいに他の人たちの目を盗むようにAに近づいてきて、一言こう言った。
「あんたそれでよかったんよ。気にしなさんなよ」
Aは驚いて祖母を見たが、もう何も言ってくれなかったという。
それ以来、Aは一度も祖父母の家を訪れていない。
祖父母の家に棲みつく「おまご様」とは一体何者だったのか。
旦那の母親や祖母もあれを見たのか。
母親も、Aと同じように拒否したのか。
祖母は受け入れたのか。
Aがあれを受け入れていたら、どうなっていたのか。
知りたいことは山ほどあるが、それ以上に、「もうあれに関わりたくない」という気持ちの方が強いという。
今でもおまご様の姿を思い出すと、Aは鳥肌が立つそうだ。
あの晩、間近で見たおまご様は。
小さな女の子などではなく、小さく押し潰された、男の姿をしていたという。
コメントを残す